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1998年8月17日放送分 自ギャグ甲子園SP - 深夜の馬鹿力データベース

1998年8月17日放送分 自ギャグ甲子園SP

 今から8年ほど前の中学校1年生の頃、クラスにちょっとした漫画ブームが起きました。
 このブームでこれといって取り柄のなかった僕に初めてスポットライトが当たりました。僕が描いた『スーパー守雄っち』というギャグ漫画がクラスで大人気になったのです。
 その頃、クラスの中で漫画を描いている者は何人かいましたが、鉛筆描き、無地のノートにフリーハンドで描いたコマの線、全てキャラクターが横向きといったような物が堂々と発表されていました。
 一方僕の漫画は当時大学で本格的に漫画を描いていた従兄弟の影響で(多分漫画研究会程度だと思います)、ケント紙に描いてあったり、黒の万年筆で描いてあったりしました(ちゃんとしたペンも使ってみたけど駄目だったので万年筆)。
 漫画の内容以上に評価が高かったと思います。
 何はともあれ僕のまんが道は高速道路で出発しました。クラスで僕の立場はグングン上がりました。
 2ヶ月もすると、クラスの実質的権力を握っている不良っぽい人まで『スーパー守雄っち』の読者になってくれて、消しゴムとか4Bの鉛筆とかを万引きしてきてくれたりと、バックアップしてくれるようになりました。
 それまで僕の事をクラスの中で飼っていたメダカのちょっと下ぐらいのランクに評価していたと思われる女子の一部までが「続きはどうなるの?」「次はどうなるの?」などと声をかけてくれるようになりました。
 ところが高速まんが道を猛スピードで突っ走る僕という自動車は、2つの構造上の欠陥を抱えていました。

 1つは、僕というちっぽけな軽自動車にはそのスピードに耐えられるボディがなかったことです。
 最初のうちは暇を見つけて2週間に3、4ページのペースで描いていた『スーパー守雄っち』は、3日に5ページぐらい描かないと皆が許してくれないようになりました。
 ブレーキを踏むべき個所もありましたが、ブレーキは何者かに取り外されていました。
 というより、クラスの人気者になるなどと思ってもいなかった僕は、皆に注目される快感に酔いしれ、はなからブレーキの使い方など知らなかったのかもしれません。
 家から一歩も出ず、何かに取り憑かれたように描く僕のフレームの軋みは、成績の急降下と母親のヒステリックな説教と言う形で現れていましたが、全てクラスの皆の「お前の漫画面白いよ」「お前は漫画の天才だよ」という物凄い爆音にかき消されていました。

 そしてもう1つはガソリンの問題です。
 『スーパー守雄っち』は元々数学の山際守雄先生をモデルにした漫画でした。山際先生は一言で言えば、生徒に好かれたいが為のギャグが空回りして、逆の効果が出て生徒全員から変人扱いされているタイプの先生でした。
 最初の頃は我ながら良く描けていた山際先生の似顔絵、守雄っちが学校で色んな目に会うという実話を極端にデフォルメした話だったはずの『スーパー守雄』っちでしたが、そうそう本物の山際先生が奇抜な出来事に遭遇するわけはないのです。
 回数を重ねるうちに守雄っちは宇宙に行ったり、プロ野球に入ったり、悪い博士に改造手術を受けたりと一人歩きを始めていました。
 それがまた人気の要素だったのですが、学校のゼロックスでコピーされた『スーパー守雄っち』が配られるなど騒ぎが大きくなるにつれ、「この事が先生の耳に入ったら殺される」という恐怖感を感じ始めていました。
 もちろん本気で殺されるとは思っていませんでしたが、守雄っちに漫画の中でビームライフルを撃たせたりもしていたせいで、怒った先生に近未来兵器で撃たれる夢にうなされたりもしました。

 そんなある日の事、僕は高速まんが道の途中で煙を吹いて止まりました。山際先生に呼び出しを受けたのです。
 事故現場を1コマの絵で描くとするならば、職員室の片隅のつい立で仕切られたスペースに山際先生と僕が向かい合わせに座り、その横で頭をペコペコ下げている母親。
 机の上に50枚ほどのゼロックスと成績表。
 そして吹き出しには「漫画っていうのはね、読む人に明るい夢とか、楽しい気持ちを与える物で…」という感じでした。

 伊集院さん、藤子先生、僕はこの事故の影響もあり2浪中なのですが、大学に入ったら漫研に入ってまたまんが道をドライブしてもいいのでしょうか?

 (PN:メロンパン)


 自分の体験を書くと今も健在の父の事に触れざるを得ない事と、自分は年齢的に伊集院さんと変わらないぐらい年齢が上なのが恥ずかしい事で今まで番組を聴くだけにしていたのですが、藤子不二雄A先生が来ると聞いて思い切って書いてみました。絶対匿名でお願いします。

 僕が小さい時、父が会社に行っている様子がなく、離れにあったプレハブ小屋にこもって何かしているのが仕事なんだということは何となく分かっていましたが、無口な父は教えてくれず、母が冗談交じりに言ったのを真に受けて、僕の中では「地球の平和を守るために何かをしている人」という事になっていました。
 その頃父親は地球の平和を守る仕事の合間を縫ってよく漫画を描いてくれました。
 それはハットリ君と僕が一緒に手裏剣を投げている僕だったり、巨人のユニフォームを着ている僕だったり、よく仲の良い友達に自慢していたものです。
 小学校も3年生になってから父の職業がプロの漫画家である事を知りましたが、父と母からこれは家族の秘密みたいな事を言われていて、友達と父親の職業の話になっても「会社員」と答えていました。
 この頃の幼い僕の推理では「ドラえもんや怪物くんを描いている人が怪しい」と根拠も無く思い込んでいて、後に藤子不二雄先生が2人である事を知ったり、テレビでお顔を拝見した時に下手に自慢しなくて良かったと思ったものです。

 さて、僕の中での父親像は僕の成長と共に変わっていきましたが、小学校高学年ぐらいからは「父はあまり売れていない漫画家なので恥ずかしいから秘密なのだ」というあたりに落ち着いて、それでも漫画はバカになるから買ってはいけないと言う友達の中、漫画に理解のある父が好きな事に変わりはありませんでした。
 中3の夏までは。

 あの日までの僕は家族の秘密も守っていたし、絶対に近づいてはいけないというかつての地球平和維持本部、いわゆる父の仕事場のプレハブに近づく事もしませんでした。
 それがあの日に限って何で禁を破ったのかは全くもって思い出せませんが、僕は父の仕事部屋で初めて父の描いている漫画の生原稿を目の当たりにしました。

 エロ漫画でした。

 しかもその当時両親に隠れて読んでいたエロ本各誌にかなり頻繁に見かける、その道では有名なエロ漫画家でした。
 正直に言います。かなりお気に入りのエロ漫画でした。
 それまでよく父が売れっ子だったらなと思ったものでした。
 そして実際、父は意外な所で売れっ子だったのです。そのおかげで僕はここまで大きくなったのです。
 けれど、中3の僕にその事は上手く理解できませんでした。

 それからというもの、父はさらに無口になり、僕は少しグレました。友達と父親の仕事の話題になった時に、「会社員」と答える習慣は変わりませんでしたが、その意味は大きく変わりました。
 この先を書こうかどうか迷いましたが、高1の時1度父と言い争いになり、「うるさい、エロ漫画家!!」と言ってしまった時の父の顔を思い出すと、今すぐ実家のプレハブに行って土下座したい気持ちになります。

 伊集院さん、もし今、もし今父にお願いしたら、父は僕とドラゴンボールの悟空がかめはめ波を撃ち合っている漫画を描いてくれるでしょうか。

 (PN:カニ食いザルとわたし)


 私の性格はどちらかと言えば内向的です。
 世間では花のOLなどと言われる立場でありながら、花の種類としてはバラでもカーネーションでもなく、刺身の横のワサビが乗っているピンクのプラスチックの花という感じなのですが、中学生の頃の私はいるんだかいないんだか分からない女子でした。
 成績は中くらい、スポーツも中くらい、友達関係も中くらいという誠に地味な私でしたが、あのやる気の無い生き物の代表格のホヤでさえ気まぐれにビュッと海水を吐いたりするもので、私にも趣味はありました。
 それが漫画です。
 私はその頃家に帰ると一生懸命漫画を描いていました。
 内容はいかにもといった感じの学園物の少女漫画でした。
 私なりに良く描けていると感じていたにもかかわらず、私が漫画を描いている事をクラスメートは一人として知りませんでした。
 というより、見せたいのは山々だけど見せる事が出来ない物でした。
 なぜならば、この漫画の登場人物全てがクラスメートをモデルにしていたからです。
 しかも極端なキャラクター設定がなされていて、実際にはちょっと性格がキツいかな?くらいのNさんを物凄く嫌な、罪も無い女子の上履きに画鋲を入れるぐらいの女の子に描いていたし、ちょっと不良ぶった所が無きにしもあらずかな?ぐらいのSさんは少年院から帰ってきた薬物中毒になっていました。
 事もあろうに、私と内向的仲間だった親友のHさんまで趣味は人を呪う事、常時カバンにわら人形という事になっていました。
 そして極めつけは主人公の私が恋多きお年頃のちょっぴりドジな女の子で、全ての吹き出しの語尾にハートマーク。もちろんモテまくり。付き合っている相手はその時好きだった1年上の先輩で、実際には話もろくすっぽした事ないのに、何かと言うとキスに設定されているという、ここまで来れば漫画を通り越して妄想ノートというような危険な物でした。
 しかし、こんな禁断な漫画も全く読者がいなくては描いた甲斐がありません。そんな訳で、私は4歳下の小学生の妹に白羽の矢を立てました。
 それが妹の中で大ヒット。途端に私は天狗っぷりを発揮して、自分のことを妹に「○○先生」と呼ばせたりして(その時付けていたペンネームが好きだった人の名字と自分の名前の間にネコのイラストが描いてあるという物凄いもので、ここには書けません)快調に描き続けました。
 この少女漫画ごっこのおかげで毎日が楽しくなりました。学校で多少嫌な事があっても、これを漫画ではこうしようと思うと何だかウキウキしました。
 今思えばあれが私のストレス解消法だったのでしょう。

 そんなある日の事、私の漫画の読者が1人増えました。
 いや、増えていました。
 いや、知らない間に増えちゃってました。
 家に帰ると、私と妹の部屋から話し声がします。
 ドアを開けると、妹が妹の友達と2人で私の漫画を読んでいます。妹も自慢気だし、お友達も楽しそうです。
 しかし、私は顔面蒼白になりました。
 お友達は私と同じクラスのKさんの妹なのです。
 体格のいいKさんは漫画の中でアフリカから来た転校生になっています。
 「○○先生、お帰りなさーい。」と妹が言うや否や、私はノートを取り上げて妹をひっぱたいていました。
 ワンワン無く2人を無理矢理部屋から押し出すと、部屋の鍵を締めて自分も泣きました。

 軽く登校拒否るほどショックを受けた割には、Kさんの漫画の件は伝わらなかったらしく、平和な学校生活を送りましたが、漫画の方は休刊になった雑誌よろしく二度と再開しませんでした。
 妹ともかなり長い間口を利かなかったと思います。
 後日談ですが、しばらくして卒業文集制作委員会なるものを決めるホームルームの時に突然Kさんが「この子漫画が上手いから」という理由で私を推薦した時にはその場で吐きそうになるぐらいビックリしましたが、ただ妹さんから「漫画が上手いんだよ」という話を聞いた程度で事無きを得ました。
 委員会は辞退しました。

 (絶対匿名)


 この前部屋を掃除していたら、訳の分からない文字がびっしり書かれた紙が本に挟まっているのを見つけました。そして、自ギャグの扉も開きました。
 あれは小2の頃だったと思います。夏休み、北海道のいとこの所に遊びに行きました。
 いとこは僕の持っていなかったファミコンを持っていたので、一緒に人気のドラクエ2をやりました。
 「一緒に」と言っても既にいとこは何時間もやっていたので、途中からいとこのプレーを見るだけでしたが、その時はとても楽しかったと記憶しています。

 夏休みが明けて2学期、友達と夏休みの思い出を話している時、僕はドラクエ2の話をしました。
 すると近くにいた普段僕とあまり会話をしないK君が話し掛けてきました。
 Kは夏休み叔父さんにドラクエ2を買ってもらったばかりらしく、いとこよりも全然進んでいなく、僕の話を食い入るように聞いていましたが、僕が「いとこの家でやったんだけどね。」と言おうとする前に、「あ、今度、復活の呪文持ってきて見せてよ。」と言うではありませんか。
 僕はドラクエ2を持っていません。ファミコンすら持っていません。
 「復活の呪文持ってきてよ」と言われても、持ってこれるわけがありません。
 気が付くと、首を縦に振っていました。
 が、動揺せずに僕は落ち着いていとこに電話をかける事にしました。
 そしていとこに「僕もドラクエ2買ったんだけど、この前一緒に見てた続きからやりたくて、復活の呪文教えて。」と言って復活の呪文をゲットしました。

 次の日、学校に持っていきました。
 そしてKに「これが今僕のやってる所。」と言い、自分には訳の分からない文字の羅列された紙切れを渡しました。
 その翌日、Kは「すごいね。もうレベル24なんだ。」と言い、感心していました。
 それからしばらくKとは楽しく会話が出来ました。いとこがやっていた部分を中心に。
 一週間後、Kが僕に「今どの辺まで進んだの?復活の呪文の新しいの教えて。」と言ってきました。
 嘘を吐き慣れた今の僕ならばKとの会話中微妙に「今ちょっとやってないんだよね、親がうるさくて。」みたいな言葉を入れてごまかせるのでしょうが、そこは小2。
 Kとの会話中、「いやー、K君まだまだだね。」「K君、まだそんなレベルなんだ。」など、さもゲームがエンディングに近づいているような言葉ばかり発言していたので、Kのセリフに対して首を横に振る訳にはいきません。
 仕方なくいとこに復活の呪文を聞きました。そして学校に持っていき、Kに渡しました。
 それから1ヶ月ぐらいでしょうか、僕はいとこに電話してはKに復活の呪文を渡し、Kとの会話で「まだ修行不足だな。」「魔法はね、回復中心に使わなきゃ駄目なんだよ。」みたいな曖昧な事を言う毎日が続きました。

 1ヶ月後、K君は僕のアドバイスもあり、ドラクエ2をクリアしました。
 この結果、僕の周りではいとことKの2人がドラクエ2のエンディングの感激を経験した事になります。
 僕を2人と感激を分かち合いましたが、僕の感激は実体の無い嘘の感激です。
 どうしても僕はその差を埋めたくなり、それからというもの毎日のように親にドラクエ2やファミコンをねだり、テレビゲーム反対派の親もついには折れ、しばらくしてドラクエ2とファミコンをセットで買ってくれました。
 待ちに待ったドラクエ2をスタートさせて思った事が1つあります。
 面白くないのです。なぜなら、楽しいはずの謎解きの答えを全て知っているからです。
 結局ドラクエ2はすぐにやらなくなりました。3、4、5、6はやりました。

 伊集院さん、最近ドラクエの7の情報をよく見かけます。僕にはやる資格があるのでしょうか。それとも、ちゃんと2をやってからの方がいいのでしょうか。

 (PN:宮尾すすむと日本の社員)



 あれは小学校4年生の時です。
 うちのクラスではプロ野球チップスのカードを集める事が大流行していましたが、僕はそのブームに乗るのをグッとこらえて、月500円の小遣いをコツコツコツコツ貯めていました。なぜなら、ファミスタを買うためです。
 この頃、ファミコンのソフトといえば高級品の代名詞で、誕生日とクリスマス、そしてお年玉をもらった時の年3本しか買えないのが常識でした。
 だから、クラスでゲームのブームが来るのはそのゲームの発売日ではなく、クリスマスとお年玉の後の3学期と決まっていました。
 そんな常識がまかり通る中、僕はコツコツと小遣いを貯め、夏休み前に発売したばかりの最新のソフトを買って人気者になるプロジェクトを進行させていました。
 運動も勉強も中の下で、活発なタイプでもなく、クラスであまり目立たなかった存在だった僕にとって、ましてプロ野球カードの話題にも参加できなかった僕にとって、このファミスタ人気者計画は人生最大のプロジェクトでした。
 お年玉の余りの2500円と月の小遣い500円のうち400円を貯金箱に入れる事半年以上。貯金箱の中には4500円のお金が貯まりました。
 後は7月1日に新しいお小遣い500円をもらえば、念願のファミスタが手に入ります。
 後は当日売り切れだと困るので、6月の終わりごろから近所のおもちゃ屋さんにファミスタを予約しに行きました。
 そしてプロ野球チップスブームの冷めやらぬクラスで「オレ、ファミスタ、買うよ。」と言いふらし、一躍クラスの人気者になりました。
 発売日にクラスの男子10人と僕の家でファミスタをやろうと約束もしました。
 プロジェクトは大成功です。これで残り3年の小学生ライフは人気者街道をばく進できます。

 いよいよ僕が人気者街道の新人レーサーとしてデビューする日が来ました。
 7月1日、僕は学校から帰ると母から7月分のお小遣いをもらい、「今日、友達たくさん来るから、たくさん来るから。」と言っておもちゃ屋さんにダッシュしました。おもちゃ屋さんに着きました。おばあちゃんに言いました。
 「ハッハッ、この前予約した、ファミスタください。」って言いました。
 おばあちゃんは言いました。

 「あれっ、ほんとに買いに来たの?」

 おばあちゃんの方にも、誕生日とクリスマス、そしてお年玉をもらった時の年3本しかゲームは買えない(逆に言えばおばあちゃんの方にしてみればその頃しかゲームは売れない)という常識があったらしく、誕生日でもなさそう、まして一緒に親が来なかった僕の予約は、完全にウソとみなされていたようです。
 「ねっ、ほんとにないの?ほら、お金持ってきたんだよ。」
 僕はおばあちゃんに千円札2枚と百円玉30枚を見せました。
 「ウソでしょ?予約したじゃない、僕。予約に来たよね?」
 何度も言いましたが、おばあちゃんからは「ごめんね。ほんとに来ると思ってないから。」としか返ってきませんでした。
 僕はとぼとぼ家に帰りました。家には10人のファミスタで築かれた友達が待っています。友達に帰って事情を説明しました。
 しかし皆からの反応は、
 「あのさ、ほんとにファミスタ買うつもりだったの?」
 「ウソなんじゃないの?」
 「プロ野球チップスも買えない奴がファミスタ買えるわけないじゃん!」
 等々の罵声でした。
 反論に疲れた僕は皆さんにお引き取り頂き、母が用意してくれた山ほどのおやつを1人で食べました。

 その一件で一緒にゲームをする相手もいなくなった夏休みも半ば過ぎ、ファミスタは手に入りました。何の目的も無くファミスタをやりました。
 夏休みが明けて2学期になると、クラスは再びプロ野球チップスの話で盛り上がっていました。
 クラスにファミスタブームが来たのは3学期に入ってからでした。その時点で僕は周りよりも遥かに上手くなっていたので、逆に誰も相手にしてくれませんでした。

 伊集院さん、最近の野球ゲームは大変面白いと聞きます。いつか僕と対戦して下さい。
 その時には、僕にレールウェイズを取らせて下さい。

 (PN:にしむり)


 夏休みの宿題と言えば観察日記。この観察日記で痛い思い出があります。
 15年前、小学校3年生の時、夏休み前の理科の時間、こんな夏休みの宿題が出ました。
 「家にある大豆でもやしを作ってみましょう。」
 もやしを作るなんて、子供の私たちにそんな大それた事が。という反応がクラスの大半を占めていましたが、僕はいたって冷静でした。
 なぜなら当時僕は自他共に認める天才ちゃんで、皆と一緒の授業がかったるく、特に得意だった理科に関してはかなり先の方まで勝手に教科書を読み尽くして理解していたので、3学期の初めは植物の発芽、大豆の観察を勉強する事などお見通しだったからです。

 「水を含ませた脱脂綿の上に大豆を置いて育てるようにね。それから、日の当たる所でやったらダメなのよ。」
 などの注意を先生が黒板に書いていますが、そんなこたぁ理科の教科書の先を読めばご丁寧に写真入で克明に書いてあるので、「2学期の始業式の日に、観察日記を提出して下さい。」という注意だけを聞いて後は「もやしが大豆から出来るとは、驚きだよ。」などとどよめく愚か者たちを見下していました。

 夏休み、天才君の僕は愚か者レベルの宿題を7月中に全部終わらせる計画を立て、予定通り3日で夏休みのドリルを終わらせ、余裕を持って理科の宿題に取り掛かりました。
 「えー、3日ぐらいで芽が出るから、んー、27日に終わるな。」なーんて余裕をかましながら、水を含んだ脱脂綿の上に大豆を3粒乗せました。
 後は教科書に「3日ぐらいで芽が出る」と書いてあるので、即座に「今日も芽が出ない」と2日分の日記を書き、大豆をほったらかしにしました。

 3日後、芽が出ません。
 仕方が無いので「芽が出ません」と日記に書きました。まぁこれぐらいの誤差があってこその植物観察だな、とも思いました。
 4日後、芽は出ません。8月に入った5日後も6日後も。
 8日ぐらいすると大豆の周りにカビが生え、大豆は異臭を放っていました。
 仕方が無いので、もう一度やり直す事にしました。今度は3日間ほったらかしにしないで、きちんと観察しました。

 3日後、出ません。
 4日後、5日後、そして8日後、またもや大豆の周りにカビが生えました。
 「また失敗だよ。」
 そう思った私はもう1度水を含んだ脱脂綿に大豆を今度は10粒いっぺんに置いて観察しました。
 10粒置きゃどれか芽は出るだろう。そう思いながら観察を続けました。

 3日後、芽は出ません。もちろん、8日後カビが生えました。
 この時になって初めて私は分かりました。
 「どうしよ、あと夏休みは一週間しかない。こうなったら教科書にある写真を手本にウソの観察日記を書こう。」と思った時、こんな考えが頭をよぎりました。

 「これは引っかけ問題だ。」

 算数ならまだしも、理科の植物観察に引っかけ問題なんてあるわけがないのですが、焦っていた私はそう思い込んでしまったのです。
 「先生め、オレを試そうとするとは。」
 私の考えはこうでした。

 確かに教科書には3日で大豆は発芽してもやしになると書いてあるが、あくまでそれは東京での事。ここ九州では10日で100%カビが生える。それを知らずに教科書を丸写しにしてきた者が罰を受ける。

 油断もスキもあったものじゃありません。
 私はカビが生える様子を克明に書いた日記を完成させました。

 2学期、自信を持って宿題を提出しました。
 そして最初の理科の時間、もやしの観察日記の発表会の時間、周りを見ると、
 「1日目 変化なし」「2日目 変化なし」「3日目 もやし」。
 愚か者どもは揃って引っかかっています。
 さあ先生、愚か者どもに裁きを!

 先生の裁きは僕に下りました。
 「S君は育て方に失敗したみたいね。」

 天才ちゃんの僕が失敗?皆が出来るもやしの観察なのに?僕だけ?失敗?

 愕然とする僕の周りに罵声が飛びます。
 「おい、S。なんだそりゃ?」
 「失敗?カビ観察してどうすんだよ。」
 「お前の大豆おかしいんじゃねーの?」
 正論です。青ざめる僕を見て先生がフォローを入れて下さいました。
 「皆静かに!失敗はS君の責任ではありません。大豆は、不潔な環境ではカビが生えてしまう事も…」
 先生が自分ですごい事を言っている事に気付いた時に、時既に遅しでした。

 「Sんちが不潔なんだよ!」

 あの日から私はネガティブという言葉がよく似合う人間になりました。
 小学校時代はクラスで1番勉強が出来たのに、学歴は高卒です。
 毎年夏になると大豆のカビた臭いを思い出します。
 伊集院さん、僕が大丈夫?
 それからもう1つ。僕の家で牛乳を観察したら、チーズ出来る?

 (PN:こだま号)


 あれは僕が小学校2年生の頃、当時家の隣に住んでいたおじいちゃんが僕に対してとても優しかった頃の話です。
 母のお使いでよくおじいちゃんの家に行かされました。僕が行く度におじいちゃんは「お利口だねぇ。」と言ってお菓子やお小遣いをくれました。
 僕はそんな事があって特におじいちゃんが好きでした。
 ある日、いつものように母のお使いでおじいちゃんの家に行く事になり、友人のK君も一緒に行く事になりました。
 僕は前からおじいちゃんの事をK君に話していたのでK君は「お菓子さ、とんがりコーンだといいね。」とか、帰りにいくらもらえるのかななどと僕に話し掛けながら心をときめかせているようでした。
 しかし、その日に限っておじいちゃんは何もくれず、僕はK君に軽い嘘つき呼ばわりをされました。

 次の日、学校でも僕の事を「嘘つき」と言ってきたので僕はキレてしまい、K君と学校で大喧嘩をしてしまいました。
 その夜、僕が先にK君に殴り掛かったという事で、僕がK君の家に謝りに行く事になりました。
 K君の部屋に入って謝ろうとした時、K君は僕に「だけど、全部おじいちゃんが悪いんだな。」と同意を求めてきました。
 僕はあんなにいいおじいちゃんが悪い訳はないと思いましたが、K君のポケットから当時僕らの間でプレミア中のプレミアだったガンダムのキラカードが見えた時、「んー、おじいちゃんにも悪い所はあったんじゃないかな」と思えてきました。
 そしてK君の家から帰る頃にはおじいちゃんはすっかり悪者になっており、二人で「おじいちゃんを懲らしめなければいけないな」という事になっていました。
 まず、僕とK君はおじいちゃんの家のポストに土を詰める事にしました。最初は土だんごを投げようと思ったのですが、すぐに見つかりそうだったのでこの作戦に変更しました。
 作戦は大成功。この悪さはすぐに近所の親たちに広まり、家の親も「お前はそんな子になるんじゃないよ」などと注意してきました。
 もちろん僕は「そんな事をする奴は僕が捕まえる」と言っていました。

 しばらくして、これでおじいちゃんも反省した頃だろうと思い、僕は母からおじいちゃんの家に行く用事をもらって行ってみると、おじいちゃんは「いつもありがとうねぇ。お利口だねぇ。」と言って、「これをお母さんに。」と干ししいたけだけをくれました。
 僕は「ありがとう」と言って家に帰ったのですが、心の中では、
 「オレが欲しいのはさ、おやつなんだよね。干ししいたけじゃないんだよねぇ。それぐらい気付かないようじゃ、ダメだな。」
 怒りが込み上げてきました。
 そしてその怒りをK君に話すとK君は分かってくれ、第二の懲らしめ作戦を実行する事になりました。
 その作戦は、『おじいちゃん自転車ぶつけ作戦』。
 名前の通り、道行くおじいちゃんがK君のこぐ自転車にぶつかるという作戦です。

 作戦実行日、僕はおじいちゃんを外に誘い出すためにおじいちゃんの家に行きました。それから一緒に散歩しようと言い、近所の公園に行きました。
 おじいちゃんは公園でクッキーを突然くれました。いつもならせんべいなのにクッキーです。子供にとって年寄りスナックのせんべいよりクッキーの方が魅力的です。
 僕はK君に大至急計画を中止するように告げようと思いました。が、連絡手段がありません。
 僕は帰り道、ヒットマンに狙われるおじいちゃんをガードするかのように辺りをキョロキョロしながら歩いていました。
 おじいちゃんの家まで後2分といった所で、ヒットマンことK君の自転車がおじいちゃんめがけて突進してきました。

 「あぶなーい!」

 僕はそう叫ぶとおじいちゃんの代わりにK君のこぐ自転車にぶつかっていました。

 骨、折れてました。
 K君、頭血出してました。

 翌日おじいちゃんが僕の家にクッキーを持って謝りに来ました。
 僕はおじいちゃんと顔を合わせる事が出来ませんでした。
 伊集院さん、小2でございます。
 若気の至りでございますが、罪も無いおじいちゃんに嫌がらせをしたり謝らせたりする僕はダメなんですよね?ダメですね。

 (PN:しょうわぎんざ)


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