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1997年12月29日放送 自ギャグの詩SP - 深夜の馬鹿力データベース

1997年12月29日放送 自ギャグの詩SP

 数年前の『佐々木君事件』に関しての、僕の言い分。
 「例えば、そんなことがあったら面白いよね」的なユーモアを佐々木に言ってみたまでです。
 だから、僕だけおとがめ無しの判決は正当。
 …だと思う。

 (PN:僕らのピアノ)


 あのウサギは間違いなく寿命でした。

 (PN:肉多め大乃国)


 M君、君の『スーパーマリオ』、駅前の『ファミっ子ストア』に並んでるよ。

 (PN:スーパーワーク)


 大久保君、小学校1年生の時、「起立、気をつけ。」は日本語か英語かでもめてしまって、君を飛び蹴りで血まみれにしてしまったね。
 ごめん、あれやっぱ日本語。

 (PN:タケコプター人間)


 あれは、まだ私にも良心というものがあった頃の出来事なので、おそらく幼稚園ぐらいのことだったと思います。
 セミを取りに公園に行った私は、道路の脇に横たわる小鳥を見つけました。
 「このままじゃ死んじゃう。」
 そう思った私は家に持ち帰って父に見せました。
 父は「骨折してるけど、治るから大丈夫だよ。」と言って添え木をしました。

 それから小鳥はどんどん元気になっていき、10日を過ぎた頃には家の中を飛び回れるようになっていました。
 父が「そろそろこいつも自然に帰してやらなきゃな。」と言ったので、私は「明日逃がしてやろう」と心に決め、今日でお別れだから友達に見せてやろうと鳥かごを持って公園に行きました。
 公園では小泉君と杉山君がサッカーをやっていました。
 私は2人を呼び、とてもかわいいその小鳥をめちゃめちゃ自慢しました。
 そしてその時、小泉君が「鳥に水浴びさしてやろうぜ。」と言い出しました。
 私たちは公園にある水飲み場に行き、鳥カゴの上から滝のような水を入れ続けました。
 今考えれば、その時鳥は恐怖の余り大暴れしていたのですが、バカな私たちは「羽をバタバタさせて喜んでいるね。」などと言って、鳥かごにジャブジャブ水をかけ続けました。
 あとはカゴをベンチに置いて、皆でしばらくサッカーをしました。

 2人が帰って、私もそろそろ帰ろうと思ってカゴに手をかけると、鳥が水の上に浮いて寝ています。
 「おやぁ?」と思いカゴの中に手を入れて鳥を掴むと、鳥は寝ていました。
 永遠に。
 急に怖くなり、泣きながら「どうしよう、これじゃ殺したようなものだ!」
 きっとこの事が親にバレたら「こんな子はいらない」と捨てられてしまうと思った私は、鳥を逃がした事にしました。
 土の中に。
 幸い今まで誰にもバレていません。小泉君と杉山君にも逃がしたと言いました。

 カゴも捨て、この記憶を心の金庫に閉まって約10年。
 このコーナーの存在を知り、便箋にしたためていた所、小鳥の名前が正確に知りたくなり、父にそれとなく聞いた所、「ああ、あの時の鳥ね。あれはメジロっていう天然記念物だよ。本当は飼っちゃいけないんだけど、逃がしてあげて良かったね。」との一言。
 傷を癒すどころか、膿んでしまいました。
 伊集院さん、大丈夫?ねえ、大丈夫なの?

 (PN:こっぱみじん)


 あれは小学校3年生の時、学校の行事で近くの畑を借りてサツマイモを作るというものがあり、その日は収穫の日でした。
 先生は僕たちにそのサツマイモを1本ずつ配り、「今日配ったおイモはおうちの人に調理してもらって、明日持ってきて下さい。どんな物が出来るか、先生楽しみにしてますよ。」と言いました。
 母親とは七夕状態だったので、僕は一緒に暮らしているおばあちゃんに頼むしかありませんでした。
 おばあちゃんにその事を言うと、快く引き受けてくれました。

 次の日、学校に行く前におばあちゃんから銀紙に包まれた物を渡され、僕は学校に行きました。
 昼ご飯の時間、先生が「昨日のおイモは持ってきましたか?」と言いました。
 周りの友達はケーキにしたり、チップス状にした物を机の上に出しました。
 先生は「うわぁ、おいしそうねー。皆のお母さんは料理が上手なのね。」と言いました。
 私も机の上に銀紙に包まれた物を出し、中を開けました。
 すると中にはただ吹かしただけのイモがありました。
 僕はそれを見た瞬間、すぐさまに机の中に隠そうと思い、机の中に投げ入れましたが、それを隣の席の友達が見ていたらしく、僕が先生に「持ってくるの忘れました。」と言ったと同時に、「え、持ってきてんじゃん。今机の中に入れたの見たもん。」と言われてしまい、泣く泣くそれを出すと、先生は「あら、吹かしてるのね。これは一番美味しいおイモの食べ方だからね。」と言ってくれましたが、周りからはいつの間にやら「手抜き」コールが。
 母親は皆に家にいつもいる事になっていたので、僕はその訳も言えず、家に帰ると部屋に閉じこもり、テレビゲームをしていました。

 するとばあちゃんがおやつのおにぎりを持って入ってきました。
 僕は、今日あった事をおばあちゃんに当たらずにはいられなくなって、おにぎりのお皿を手で払い除けて「おにぎりなんてもういらないよ!」と怒鳴りつけてしまいました。
 おばあちゃんは僕の態度を見て今日あった事をさとったらしく、床に転がったおにぎりを拾い上げて、部屋から出て行く時にぽそっと「ごめんね。ばあちゃん料理しかできなくて。」
 その日の夕食、おばあちゃんがあのおにぎりをお茶漬けにして食べていたのは、今でも頭から離れません。
 僕はタコのウィンナーやそぼろで絵が描いてあるお弁当を食べたことがありません。
 もちろん、不満を言った事はありません。
 あの日から。

 (PN:青山牧場)


 あれは私が中学校3年生の時の話です。
 その時私は、中学校最後の文化祭のため、夜遅くまで学校に残って催し物を製作していました。
 そして7時ぐらいになって皆が一人一人と消えて、私が一人残っていた体育館のカギを職員室に戻す事になり、一人カギを戻してから、とぼとぼと薄暗くなったロータリーを自転車置き場まで歩いていきました。

 その途中には剣道場があって、「自分も夏まではここで部活をしていたんだなぁ」と思いながら、剣道場にいつの間にか近づいていました。
 何となく中を見たくなって入り口の所に行っても、やっぱり中はカギが閉まっています。
 僕は「どうせこっちも閉じているだろう」と思って、窓の下にある、人がくぐれるぐらいの窓に手をかけて引っ張ってみると、スーッと小窓が開きました。
 私は何かに惹かれるようにその剣道場の中に腹ばいになって入っていきました。
 私は剣道場の懐かしい匂いが少し嬉しくなって、部活に入ってたくさんの胴着がかかってるのを見て、はっと気付きました。

 「隣の女子の部屋には私が結構気に入っていた、後輩のSさんの胴着がかけてあるんじゃないかなー。」

 私はすぐに女子の部室の方に行く事にしました。
 しかし、神様も私を罪人にはしたくないようで、私の期待していたSさんの胴着や袴はありませんでした。

 でも、防具がありました。

 私はその防具を手に取り、少し眺めていた。
 その時、剣道場の前あたりから最後の見回りに来た先生の「誰かいるのか?」という声が。
 私は慌てて、入ってきた小窓から逃げました。
 何とか先生にも見つからずに、自転車置き場に着いたのです。
 やはり、神は私を善人のままでいさせてくれたのです。

 その時、私は右手に何かを持っていることに気付いたのです。
 それは小手でした。Sさんの小手でした。
 その後、小手はいまだに押し入れの中にあります。
 伊集院さん、こんな僕の神様は大丈夫なんでしょうか?

 (PN:サモハンキンポー)


 両親が共働きだった僕は、小1から小3まで学校を下校後、『学童養育クラブ』という、僕と同じ境遇の子供がいる施設に入っていました。
 あまり楽しくはない所でしたが、毎年夏に行なわれるキャンプは、全員楽しみにしていました。

 僕が3年になって班長に就任した年のキャンプのメインイベントは、武田信玄の埋蔵金探し。
 埋蔵金探しといっても、父兄が用意して隠した金メッキの小判の入った千両箱を班ごとに探すというものでしたが、小3の僕にとってとても楽しみなイベントでした。
 僕は班長として年下の1、2年生に尊敬されようと、キャンプ前日深夜まで、班員への的確な指示を出すための策を練りに練っていました。
 その夜はキャンプ実行委員長の父も遅くまで起きていました。
 僕が父に何をやっているのか問うと、父は「埋蔵金探しの隠し場所の地図の確認をしている」と言いました。
 この予期せぬ父の発言に、頭の中は「これさえあれば、これさえあれば」という言葉が繰り返されていました。
 少し経って正気に戻った僕は、盗み出した隠し場所の記された地図のコピーをコンビニで班員分とっていました。

 翌日キャンプ場で班のバンガローに入って早速この地図を配り、それぞれ見つけ出す千両箱を割り当てました。
 その正午、埋蔵金探しがスタートしました。
 僕が先生に渡されたクイズを解くふりをしていると、スタートの合図と共に班員どもは、割り当てられた千両箱の所にクイズも解かずに猛ダッシュしていました。
 呆然と立ち尽くす僕を尻目に、バカ班員どもは10分後、1人1つずつの千両箱をパーフェクトで抱え、満面の笑みを浮かべ、僕の所に帰ってきました。
 幸いスタート地点には呆然と立ち尽くす僕しかいなかったので、この事は誰にも知られていませんでした。
 さすがに4時間かけて行なう予定だった企画を、ものの10分で、しかも見つけたのが全部うちの班というのはまずいと思い、元の場所に戻してくるように伝えましたが、誰も言うことは聞いてくれませんでした。

 もうダメだと僕は覚悟を決め、役員テントにいた父に全てを白状しました。
 父は激怒し、僕の襟首を掴み、崖から落とそうとしました。
 僕が言葉にならないぐらい泣き続けているのに気づいた先生達によって父は止められ、急遽役員会議が開かれ、まだどこの班もクイズを解いていないということで密かに元の場所に戻すことになりました。
 こんな事があったとは知る由もない他の班に、3時間後全ての千両箱が発見されました。
 その3時間の間、棄権扱いになった僕の班はバンガローで反省文を書いていました。
 落ち込んでいる僕にさらに追い討ちをかけるように班員達は、「班長の命令だった」という内容の反省文しか書いていませんでした。同じ学年の副班長までもがです。
 キャンプ2日目に起きたこの事件のショックから立ち直れず、僕はあと3日間のキャンプにどうしても参加したくなくて、お腹が痛くなったということで家に帰りました。

 キャンプが終わって元の生活に戻ってしばらくすると、毎年恒例のキャンプ再現劇のための練習が始まりました。
 班員達は、棄権してバンガローにいるという様子の劇の練習をしていたようですが、僕は練習も本番もお腹が痛くなったということで欠席しました。
 普通は学童を卒業して4年生になっても、OB班ということでキャンプに参加するのですが、僕だけが毎回お腹が痛くなったということで行きませんでした。

 あの事件から10年、あの事を思い出すとベッドでじたばたしてしまいます。
 伊集院さん、どうすれば、僕はどうすればいいのでしょうか?

 (PN:五右衛門 19歳男子学生)


 中学校2年の夏、M君、W君、そしてW君のお父さんと4人で近所の運河にハゼを釣りに行った時の話です。
 その日はM君、W君とともに釣果がよく、朝からいい引きでした。
 それに反して僕だけはどうしたことか1匹も釣れず、釣りに飽きがきていたので釣りを止め、1人で石をどかして間抜けな小虫を取ったりして遊んでいました。
 しばらくの間遊んでいるとW君のお父さんに、「おーい。そっちはヘドロに足を取られるから、1人だと危ないよー。」と注意されました。
 僕は知らない間に釣りをしている所から大分離れた所まで来ていたんです。
 こりゃ危険だなと思った僕は虫取りを止め、今度はそこいらの石をヘドロに投げ込んだりして遊び始めました。

 そこに、川上からカルガモの親と子4、5匹が仲良く泳いで来ました。
 その微笑ましい親子のカモを見守るほどその頃の僕は優しくはありませんでした。
 気がつくと、幸せな親子をビビらせてやろうと小石を投げつけていました。
 小石投げが次第にエスカレートして、野球のボールぐらいの大きさの石を投げるようになった時、ここまでカモの親子は僕の石攻撃をかわし続けていたので、僕はカモにぶつけるのではなくカモの近くに石を落とし、その波でカモを驚かせようという作戦に変わっていましたが、僕の手から離れた石は綺麗なアーチを描き、カモの親子の近くに落ちる予定が、石は見事に親ガモを直撃。
 親ガモはまるでシンクロナイズドスイミングをするかのように脚を上にして水中に消えていきました。
 その時の僕に追い討ちをかけたもの。急に親を失った子ガモたちがピーピー必死で親を捜し泣いています。
 そんな切ない泣き声と罪悪感で僕は頭が混乱し、「カ、カモが、カ、カ、カモが。」と声にならない声を出してパニック状態で、「殺したからには食べなくては」と水中に没した親ガモの方へとフラフラと近づいていきました。

 その時です。「ズボッ」という音と共に僕の両足はヘドロにめり込みました。
 しかし頭の中に殺した母ちゃんカモを食べることしかなかった僕はヘドロにまみれながらもカモへとカモへと這いずっていきました。
 その時、W君のお父さんに止められ助けられなかったら、僕はカモと心中していたかもしれません。
 ヘドロの中から引き抜かれ、どうしてヘドロの中にいたのかと聞かれ、僕は「カモを食べようとして」とは言えずに、ヘドロと泥水にまみれて小刻みに震えて下を向いて黙っていました。
 はと目をやるとカモの死体は運河の下流の方へと流され、その周りに子ガモが輪になっていました。

 今でもこのシーンはたまに夢に見ます。
 大丈夫でしょうか?

 (ラジオネーム:足刺し職人)

 小学校3年生の時、僕たち5人の仲間は、旅人でした。
 ゲームボーイのロールプレイングゲーム「Saga2」にハマって旅をしたり、人が行かないようなところに行ったりとほんとにほんとに楽しい日々でした。

 ある日、家の中で遊ぶのに飽きた5人は、メンバーの1人である高橋君の家を出て、旅に出ることにしました。
 今回の目的地は前々から僕が行ってみたいと思っていた、下水道です。その下水道は人が歩けるほどの大きさなので、旅人としては行かないわけにはいきません。
 とりあえず、水の中を歩くので長靴を取りにいこうということになり、5人は1度解散し、下水道の前に集合ということになりました。
 いよいよ突入です。入り口から入っていって、数mのところで、いきなり鉄柵がありました。
 しかし我々旅人はその程度のことではあきらめません。柵の横の隙間から横歩きで突入。まず、一番最初に入っていった僕は楽に成功。ほかの3人も楽に入れました。ちょっとデブの高橋君も何とか入ることができました。
 僕たちは真っ暗な下水道の中を懐中電灯の明かりを頼りに突入していきました。
 確かそこはゴミだらけで猛烈に臭かったんですが、本当に楽しかった旅だと記憶しています。

 30分ほど経った時でしょうか、Uターンして入り口手前の鉄柵まで戻りました。僕たち4人は柵から出て家に帰ろうとしました。
 が、1人足りません。デブの高橋君です。
 下水道の水でふやけたのか、彼が鉄柵から出れません。半泣きでした。
 4人は必死で彼の腕を引っ張りました。でもだめです。
 僕は、彼を助けるには大人の力が必要だと思い、高橋君の家に向かいました。
 しかし残りのみんなも僕の後ろについてきます。猛ダッシュで走る4人。
 その時です。僕の頭に「大人にバレたらヤバいよなぁ…」という考えが浮かびました。
 全会一致の判断でした。
 「高橋君が太っているのが悪い。」と心に何度も言い聞かせ、4人は解散しました。

 翌日、高橋君は学校に来ていました。僕は本当によかったなと思いました。
 それもつかの間、昨日のメンバー4人が担任に呼び出されました。昨日のことは高橋君の親を通じて担任に知らされていました。
 担任は僕ら4人に言いました。「何で呼ばれたかあんた達わかる?」
 答えました。「下水道のことですよね?それなら高橋君も一緒でした。」
 横の3人の顔は引きつっていました。
 僕が「しまった」と思った瞬間、僕の体は宙を舞っていました。担任のビンタです。
 担任は涙目で「高橋はな、あそこでずっと叫んでたんだよ。10時までな。助けてくれた人がいなかったらお前らどうすんだ!何でそうやって友達裏切れるんだよ!」と言いながら他の3人を次々と吹っ飛ばしていました。
 僕はボロボロ泣いていました。さらにそこから入ってはいけないところに入ったことと、さっきの僕の高飛車な発言に対しての計2回ずつ、4人で計8回吹っ飛ばされました。
 教室に泣きながら入る4人。クラス全員の冷たい視線。このことをクラス全員に言いふらし、こっちをチラチラ見る高橋君。
 僕たち4人は孤立しました。高橋君は他のグループに入りました。

 それから1ヶ月後、高橋君は引っ越すこととなり、クラスでお別れ会を開きました。
 僕らは彼にあらゆる思いを込めて4時間かけて『高橋君人形』というものを作りプレゼントしましたが、帰り道その人形がドブ川を流れていくのを見ました。
 今もあの下水道のとこを通ると、ビンタを思い出します。
 僕らまとめて大丈夫でしょうか?

 (PN:ニセポパイ)


 僕がまだ小学生の頃の話です。その日、僕と男友達のY君、T君、クラスの女子のAさんとBさんとで当時僕が憧れていたCさんの家に学芸会の打ち合わせに行きました。
 理由なんてどうでもよかったんです。好きな女の子の家に行くのは『モテない君』の僕にとって、最高の喜びでした。
 家に入り、Cさんの部屋に案内された時点で、もう僕の心臓の鼓動は「エマージェンシー、エマージェンシー」。
 それなのに、さらに心臓の負担のかかるような出来事が起きました。
 部屋の中にはイスが用意されていたのですが、1人足りなかったので、一番最後に部屋に入った僕がなんと彼女のベッドに座ることになったのです。
 この当時、僕は確かに『モテない君』でしたが、それと同時に『顔の悪いやつは心は奇麗』という変な迷信により、かなり安全なやつと思われていたフシがあり、他のみんながお菓子を食べながら話し合いをしている間、僕1人幸せ気分に浸りながらベッドの上でたたボーッとしていました。

 しばらくしてお菓子が切れると、「新しいやつ持ってくる。」とCさんがお皿をもって部屋から出て行きました。
 AさんとBさんも「手伝ってくる」と言って出て行きました。そして「トイレ。」とY君が出て行き、「金魚見てくる。」とT君が出て行き、僕は、部屋には僕1人だけの状態に。
 神様のいたずらのようですが、僕1人になったのです。
 「もしかして、みんながどっかから覗いてて、オレが変なことするの待ってんじゃないかな?」
 最初はそう思いましたが、どうもそうじゃないと確信を持つと、いよいよ僕の頭の中におピンク様が出てきて、「枕抱きしめちゃえよ」とか「布団の中に入っちゃえよ」とか言ってきます。
 当然僕の心の中の天使様は「そんなことしちゃダメダメ。」と僕に言っています。
 「やっちゃえ!」「ダメだ。」「やっちゃえ!」「ダメだ。」
 そんな押し問答が僕の心の中で続けられ、そのやりとりと「今オレは好きな子の部屋に、ベッドの上でただ1人でいる」という緊張感に耐えられなくなった時、僕は吐いてしまいました。吐きました。

 そこで瞬間的に変に冷静になった僕は、「この場所に吐いたらみんなが嫌な思いをしてしまう。」と考えたまではよかったのですが、時間がなく、布団をめくって中に吐いてしまいました。
 もうこうなってしまうとおピンク様など心の中から逃げ出していて、とにかくバレないようにバレないようにと上にきちんと布団をかぶせ、部屋を1回飛び出し、1番離れた部屋にみんなが戻ってくるまで隠れていました。
 みんなが部屋に戻ると、「あーすっきりした。」といかにもさっきまで僕もトイレに行っていましたという感じのセリフを言いながら戻りました。
 吐いた物が小ゲロだったためか臭いでバレることはありませんでした。そしてそのまま帰りました。

 翌日、Cさんが学校に来ていません。
「僕のせいだ…。」
 いたたまれない気持ちになった僕は、帰宅後、家にあったお歳暮を勝手に持ち出し、これでお詫びということにしようと思いながらCさんの家に走っていきました。
 家に到着。恐る恐るインターホンを押すと、Cさんのお母さんが出てきました。
 「怒られるかなー」と思っていると、すんなりとCさんのいる部屋に通されました。
 Cさんは自分のベッドではなく、布団で寝ていましたが、どうやら僕が犯人だということはバレていないようで、部屋に入るとCさんの親友であるAさんがお見舞いに来ていました。

 普段女子とはあまり話さないので何といったらいいのかわからず、しばらく黙っていると、Aさんが「何でCちゃんが寝込んだか知ってる?」と聞いてきました。
 「やっぱり、あの事だよなぁ…」と思ってはいましたが、言えるわけはありません。
 「カゼ?」とシラを切ると、Aさんは「実は…」とCさんが寝込んだ理由を話し始めました。案の定僕が原因でした。
 布団を頭までかぶっているCさんを見て、「謝らなきゃ」と思ってはいましたが、隣でAさんがすごい勢いで怒っていたので、言えませんでした。
 「やっぱり謝らなきゃ!」そこで急にAさんが「きっと犯人はTよ。」と僕の友達の話をし始めました。
 まずい、このままじゃ親友のT君が犯人になっちゃう。
 そう思った僕はとっさにこう言いました。

 「そうだよね、彼結構お菓子食べてたし。」

 ごめん、T君。そう思いながらも自分のために次から次へとT君を犯人に仕立て上げる嘘を言い続けました。もう既にAさんの頭の中ではT君が犯人になっています。
 「明日、Tのことぶん殴ってやるよ。」Aさんは言いました。
 まずい、これ以上他の人に話が広がると犯人が僕というのが表れてしまう。
 そう思っているとCさんが静かな声で布団をかぶったまま、「いいよ。T君もきっと反省してるだろうし。」と言いました。
 それっきりCさんは喋りませんでした。
 Aさんも黙っていました。
 この雰囲気に耐えられなくなった僕は帰ることにしました。
 ふと自分が持ってきたお歳暮のことを思い出し、Cさんのお母さんに渡しましたが、こんなたいそうな物を頂いては悪いからと言われ、返されました。

 とぼとぼとぼとぼと帰っていると、僕の脳裏に1つの不安がよぎりました。
 もしお歳暮を持っていたことが今お母さんにバレていたら、怒られちゃう。
 家の前に着き静かにドアを開けると、母が玄関にいました。もちろん怒られました。
 怒られている最中、「今こうやって怒られていることにより、僕の罪は償われている」と訳の分からない、自分勝手な自己催眠をかけていました。
 この催眠のおかげで普通に学校に次の日も行けました。Cさんも翌日から学校に来ていたし、AさんもT君に何も言っていないようだったので一件落着のようでした。

 それから約1年後、T君から「オレさ、今度Aに告白しようと思うんだけど、何て言ったらいいかな?」と相談された時、自分の今までしでかした事に対する申し訳なさに押しつぶされそうになり、「うーん、悪い虫の予感がするから止めといた方がいいよ。」とだけは言っておきました。

 その後僕はすぐに引っ越すことになり、結局T君が告白したかどうかはわかりません。今はただ告白していないことを祈るのみです。
 僕は大丈夫なんでしょうか?

 (PN:まっくろけ)


 泣くほど大事な絵だとは思いませんでした。
 実は、破れた所を直したやつが、あれから6年あるんですけども、まだいりますか?

 (PN:マカマカ)


 まさか、先生が辞めることになるとは…。

 (東京都国分寺・PN:牛乳宣言)


 立て札の「危険」の文字が、もし平仮名で書いてあったらなぁ…。
 今でも思います。

 (東京都杉並区・PN:エビ夫)


 カッパの絵が、かえって僕たちの好奇心を刺激してしまいました。

 (PN:ごうけい)
 あれは、小学校4、5年の時。A君の家に遊びに行った時のことです。
 A君の家では犬と白文鳥を飼っていたので、僕は犬と遊んでいました。
 しばらくして、犬に飽きた僕は、今度は白文鳥と遊ぼうと思いました。
 当時、白文鳥は僕の家でも飼っていて、僕の家では放し飼いにしていたので、A君に「カゴから文鳥を出していい?」と聞きました。
 するとA君は「いいよ。」と一言。僕は白文鳥をカゴから出しました。元気に飛び回る白文鳥。
 とその時、犬の足音が。一瞬、犬と白文鳥の姿がシンクロしました。そして、次の一瞬、犬の口元を見てみると何やら白っぽいものをくわえています。
 A君は「うわぁ!」と絶叫。僕も絶叫しそうになりましたが、僕は「いや、あれはティッシュペーパー。あぁん、白文鳥?んなんじゃねぇ、ティッシュペーパーだ!」と苦し紛れの自己暗示をかけていました。
 しかし、現実はそう甘くはありません。犬がくわえていたのは、紛れもなく白文鳥でした。
 A君は犬の頭をバンッ、バンッと叩いています。しかし犬は一向に白文鳥を放そうとしません。犬は、数分経ってから放しました。
 A君は白文鳥を甘握りし、一生懸命さすっています。
 A君は「大丈夫だよ、大丈夫。びっくりして気を失っているだけだよ。」と言っています。僕は「そうだよね、びっくりしただけだよね。」と同調するしかありませんでした。

 それから数分して、A君のお母さんとおばあちゃんが帰ってきました。
 少し経って、何が起きてるかに気づいたおばあちゃん達は「何をしたの?何をしたの!」と怒り気味で犬を責めています。「せっかく慣れ始めてたのにどうして!?」と泣きそうな声でおばあちゃんたちは言っています。僕は正座して小さくなって座っていました。
 おばあちゃん達は「なんでカゴから出したりするの!」とA君だけを責めています。
 僕は「ごめんなさい。僕がカゴから出そうって言ったんです。」と何度も言おうとしました。でも言えませんでした。
 僕はA君のお母さんがA君に「もうカゴから出したりしないの!」という言葉をかけているのを尻目に、そーっと家を出ました。

 それ以来、僕はA君から誘われても、「ごめん、予定あるんで。」と言ってA君の家に行きません。あれからA君の家の犬はすくすく育っているそうです。
 伊集院さん、こんな僕ですが、大丈夫なんでしょうか?

 (PN:レイジングヘル)


 僕が中学校2年の頃、進学塾に通っていて、その頃の学校の成績はと言うと、学年で220人中15位ぐらい、普通の人よりいいぐらいの成績でした。
 ちょうどその頃、僕は『ドラクエ5』が出ると友人に聞いて、どうしても欲しくなっていました。
 ある晩、僕は親とおじいちゃんとおばあちゃんに「スーパーファミコンのカセットが欲しいんだけど」と言いました。
 しかし、母は「ファミコンばっかりして勉強しないから」とあっさり却下。
 しかしどうしても諦めきれない僕は、「ね、勉強するから買って、勉強するから。」と食い下がりました。
 すると父が「じゃあ、今度の塾のテストで英語、数学、国語、3科目全部90点以上取ったら、まぁ買ってやるよ。」と何とも厳しい条件を出してきました。
 僕は何としても90点以上取るために、1ヶ月後のテストへ向けスーパーファミコンをやるのを禁止して、来る日も来る日も一生懸命勉強しました。

 そしてテストの日。
 僕は、テストが始まる直前に消しゴムを忘れてしまったことに気づきました。
 でも、消しゴムなんかなくても何とかなるだろうと思い、テストを受けました。
 しかし、国語のテスト中解答欄を間違えてしまいました。消しゴムのない僕は誤った答えを鉛筆で塗りつぶし、正しい答えを書いてしのぎました。

 数日後のテスト返却日、僕は「何とか全科目90点を超えてくれ」と祈りながら、返却された答案を見ました。
 数学、94点。英語、96点。
 そして国語。87点。
 頭の中で鳴っていたドラクエのテーマがフェードアウトしていくのがわかりました。
 そして気がつくと、僕は国語のテストの間違った答えを消しゴムで消し、そこに正しい答えを書き直していました。
 そしてそれを先生の所に持っていき、「あの、ここ採点ミスなんですけど。」と言っていました。

 僕の中で再びドラクエのテーマが鳴る予定でした。
 が、先生が怒鳴りました。
 「何でこの解答だけ消しゴムできちんと消して答えてるんだ!他の解答は間違った所は鉛筆で塗りつぶしているのにおかしい。テスト用紙を見てみろ!」血の気が引きました。
 続けて先生が「後で君の親に連絡をして面談をしましょう。」と言った時、僕は「僕はもうこの塾にはいられない。そして、家にも僕の居場所がない。」という気持ちで一杯になり、先生からテストをわしづかみで奪うと、そのまま逃げていました。

 逃げ出してから数時間経った夜中の12時過ぎ、僕はこれからどうやって1人で生きていこうかと悩みながら道をとぼとぼ歩いていると、そこにたまたま巡回中のパトカーが来て、警察に連れて行かれ、僕は警察で全ての事を話しました。
 しばらくして親が迎えに来て、家に着いた後、親に一晩中お説教されました。
 僕が半べそをかきながらしょげていた明け方の5時頃、おばあさんが起きてきて「どうしたんだい?」と尋ねてきました。
 親が事情をおばあちゃんに話すと、おばあちゃんが「お前が勉強を頑張っていたのをよく知っているよ。じゃあおばあちゃんがお金をあげるから、欲しいものを買っといで。」
 この言葉をきっかけに、僕は大泣きしてしまいました。ドラクエ5を買ったはずですが、ストーリーはよく憶えていません。

 今日、明けて30日、僕は19歳になります。成人まであと1年です。
 こんな僕ですが、大丈夫でしょうか?

 (PN:DJナイキ)


 水風船を持ってきたのは倉本君でした。いや、投げたのは僕ですけど。
 ターゲットを指示したのは岡山君でした。いや、命中したのは僕のですけど。

 (ラジオネーム:ペルドモ)


 僕は今までの人生の中で、15分間だけ『木村良輝』だったことがあります。

 (PN:アオミドロ)


 3組のみなさーん、共同募金、3262円ありました。

 (埼玉県・PN:恥さらし)


 クワガタの角って、結構簡単に折れるんですね。

 (PN:はてな)


 あの後、北斗の拳ごっこが禁止になったっけ。

 (PN:ぬし)


 修学旅行の文集の私の作文の件なんですけれども、広島に友達はいません。

 (PN:人間合格)


 牛乳瓶って、割れますよね。
 瓶ですもんね。

 (東京都板橋・PN:氷ネコアイス)

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